osho & prem mashal

beloved osho

両親への義務

両親への義務
 
 
結婚制度や家族制度ができてからは特に、
人間は多くのエゴ(欲)を生み出し持ち続け、
そのエゴ(自我・欲)を満たそうとして
マインド(思考)で頭の中がいっぱいになり、
それらのエゴ(自我・欲)とマインド(思考)によって
苦しみがたくさん増えてしまいました。
 
結婚や家族という関係の型の中での
夫婦関係の苦しみもありますが、
親子関係の苦しみもあります。
 
 
わたしの場合は1歳の頃に親に捨てられた後、
祖母が引き取り大切に育ててくれたのですが、
数年後に再び両親のもとへ引き取られ、
それからは暴力的な虐待の毎日を苦しみました。
 
家族からの大工道具やあらゆるモノによる暴力があり、
頭を強くうたれたあとは気を失い、
病院で目が覚め、看護婦さんが泣きながら包帯を巻いている…
ということばかりでした。
 
暴力的な虐待ではなくても、
精神的な虐待であっても、
どなたもみな親子関係で苦しむことはあると思います。
 
oshoは自分や他者の
マインド(思考)とエゴ(自我・欲)から
自分自身を自由に解き放ち、
自分や他者を支配や所有せず、
自由を与えることが愛であると
伝え続けています。
 
 
家庭内暴力からは、
誰1人も助けてはくれません。
自分で自分を救い出すしかないのです。
 
 
そんな苦しい中、
oshoの慈悲の愛がどれほど、
家族からの暴力から
自分で自分を救い出そうとする勇気を
奮い立たせる光となったか…
 
 
怒りはあっても、
わたしはどうしても同じ暴力での復讐ができませんでした。
 
自分が暴力を受けた痛みが十分にわかるからこそ、
他者へ暴力を振るうことができないのです。
 
 
oshoの講話を聞いていたある日、
自分が自分のあらゆるネガティブなマインド(思考)や感情に
しがみついていることにエネルギーを使い、
それが苦しみとなっていることに『気づく』ことができました。
 
それからは、
ネガティブに偏ることにエネルギーを使うのではなく、
瞑想をすることにエネルギーを使いました。
 
瞑想を何年間も行い続けました。
 
瞑想とは、
マインド(思考)やエゴ(自我・欲)を全て手放し、
自分の内側を空っぽな状態にすることです。
 
ノーマインド(無思考)になると、
自然と自分の内側にある『源泉』を『思い出す』ことができました。
 
その『源泉』を『思い出した』ままの状態で何年間が過ぎたある日、
 
『全ては一つである』という存在と一つである宇宙の大洪水が
やってくる体験が突然起こりました。
 
その体験により、
家族を許せ、慈悲の愛で愛することが、
不思議と自然にできるようになれ、
 
それにより、
苦しみのもとであった怒りや悲しみや憎しみなどのネガティブな感情が消え去り、
とても楽になりました。
 
それは沈黙の至福です。
 
すると、不思議と家族からの暴力はなくなったのでした。
 
 
許しと慈悲の愛ができるようになるまでの、
過酷な現世の学びだったのでしょうか…?
 
自分の内側が変容しなければ、
自分の外側は変わらないということの
学びだったのでしょうか…?
 
 
過酷な学びでしたが、
過酷な体験からしか『理解』できないものばかりでしたから、
 
今はその過酷な体験にも感謝をし、
その過酷な体験をすることになった家族に対しても感謝をしています。
 
しかし、暴力はやはりあるべきものではないと思っています。
 
 
過酷な体験から瞑想の体験をとおして『理解』できたことは、
 
 
誰かに助けてもらうのではなく、
 
「自分が光明enlightenmentを得ることができなければ、
長年の苦しみから真に自分を救い出すことはできないんだ。」
 
 
と、その宇宙の大洪水の『全ては一つである』という体験後に『理解』が起こりました。
 
 
oshoが話すように、
光明enlightenmentを得た人でなければ
他者のそれを見極めることはできませんから、
 
わたしが実際にその体験をした話を読まれても信じられないことだと思いますが、
(その体験以前のわたしはそれは物語だと思い信じてはいませんでした…)
 
全ての光明enlightenmentを得た導師たちも伝え続けているように、
 
その体験が真に自分を救い出せ至福であることに自然となることを、
 
今苦しみの中にいる人達が
少しでも苦しみを手放し至福である状態を『思い出す』ことは可能であることを、
ブログで書き残せたらと思い書いています…。
 
 
oshoやゴータマ・ブッダや他の光明enlightenmentを得た導師たちが伝え続けたことは、
本当だったんだな〜と今ならわかります。
 
わたしは本当に無知でアホなので、
説明がうまくできなくて申し訳ないのですが、
 
自分の力ではどうしようもないので、
今日はそんな慈悲深いoshoの講話の中から、
ほんの一部分ですが親子について悩まれている方の質問に答えた
oshoのお話をご紹介いたします。
 
 
*     *     *
 
 
質問…
 
Osho,両親は私にとても失望していて、いつも心配しています。
私がここにいることができるのは彼らのおかげです。
どうして彼らを見捨てることができるでしょう。
私は両親にどのような義務があるのでしょう?
 
 
 
osho…
 
家族の問題とは、
子どもは小さい頃から成長していくのに対して、
親は親であることから決して成長しないということだ!
 
人はいまだに、
親の立場というのは永遠に執着するべきものではない
ということを学んでいない。
 
子どもが成人になったら、
あなたの親の役割は終わる。
 
子どもにはそれが必要だった--子どもは何もできなかったのだから。
母親、父親、彼らの保護が必要だった。
 
だが、
子どもが独り立ちできるようになったら、
親は子どもの生から身を引くことを学ぶべきだ。
 
ところが、
親が決して子どもの生から身を引かないために、
親は自分に、そして子どもに対しても不安を抱きつづける。
 
彼らは破壊し、罪悪感を作り出す--彼らは許容限度を超えて助けることはない。 
 
 
 
親であるということは偉大なアートだ。
 
子どもを産むのはたいしたことではない--どんな動物にもできる。
それは自然で、生物的、本能的なプロセスだ。
子どもを産むのは別に偉大なことではない。
特別なことでもないし、ごく普通のことだ。
 
だが親であるというのは特別な何かだ。
 
ほんとうに親になれる人はほとんどいない。 
 
 
 
基準となるのは、
ほんとうの親は自由を与えるということだ。
 
 
 
決して自分を子どもに押し付けたりしない。
子どものスペースを侵さない。
 
そもそも最初から、
彼らの努力は子どもが自分自身でいられるように手助けすることだ。
彼らは手助けするために、
勇気付けるために、
滋養を与えるためにいるのであって、
 
自分たちの考えを押し付け、
これをしろ、あれをするな、と命令するためにいるわけではない。
彼らは奴隷を作り出すためにいるわけではないのだ。 
 
 
 
だがそれこそ世界中の親がし続けていることだ。
 
 
 
彼らの努力のすべては、
子どもを通じて自分の野望をかなえることだ。
 
もちろん誰一人その野望を達成したものはいない。
 
だから、どの親も不安に駆られている。
 
刻一刻と死が近づいていることを知っている。
死がどんどん大きくなり、
生が縮まっていくのを感じることができる。
 
が、自分の野望はまだかなえられていない、
自分の欲望はまだ現実のものとなっていない。
彼は自分が敗者だったことを知っている。
自分はなにも得ることなく死んでいくだろうということに、
はっきりと気づいている--
やって来たときとまったく同じように
手ぶらで逝ってしまうだろうということに。 
 
 
今や、彼の努力のすべては
どうやって子どもに自分の野望を植え付けるかだ。
 
 
彼は行ってしまうが、子どもは彼に従って生きるだろう。
彼にできなかったことは子どもがやってくれるだろう。
少なくとも子どもを通して
彼はある種の夢をかなえられるかもしれない。 
 
 
それは起こらない。
 
 
起こることは、
子どもは親を満足させることのないまま、
自分の子どもにも同じことをやり続けるということだけだ。
 
 
 
これが一つの世代から次の世代へと引き継がれていく。
 
 
 
私たちは自分の病を与え続け、
自分自身の人生で価値を見出せなかった観念を
子どもたちに移し続ける。 
 
 
 
ある人はキリスト教徒として生きたが、
彼の人生を見れば、
それによって至福に満たされることはなかったことがわかる。
 
ヒンドゥー教徒として生きた人もいる。
彼の人生は地獄だったことは明らかだ。
 
ところが彼は自分の子どもが
ヒンドゥー教徒や、キリスト教徒や、イスラム教徒になることを望む。
 
 
人はいかに無意識でいることか!
 
 
 
 
聞いた話だが--
一人のとても悲しげで陰気な男が、ロンドンの医者を訪ねた。
待合室に座って、むっつりしたまま他の患者のことなどそ知らぬ顔で順番を待っていた。
やっと順番が来て、医者が診察室に招き入れ、
入念な診察が終る頃には、
彼は以前にもまして深刻で悲しげで惨めになった。 
 
「とくに心配なさるようなことはありませんねえ」
 
医者が言った。
 
「基本的にあなたは落ち込んでいるだけです。
あなたがすべきことは、仕事や心配事を忘れることです。
チャーリー・チャプリンの映画でも見に行って、
思いきり笑うことですな」 
 
その小さな男の顔一面に悲しそうな表情が浮かんだ。
 
「私がそのチャーリー・チャプリンなんです」 
 
 
 
 
これはとても奇妙な世界だ! 
 
あなたは人びとの真の生活を知らない。
 
あなたが知っているのは彼らの仮面だけだ。
 
あなたは彼らを教会で見かける。
クラブで、ホテルで、ダンスホールで見かける。
誰を見てもみんなが楽しんでいて、
みんなが最高の生活をしているかのようだ。
あなた一人を除いては…
言うまでもなく、
あなたは内側で自分がどれほど惨めかを知っているからだ。
が、それは他のすべての人に言えることだ! 
 
 
彼らはみな仮面をかぶり、他人を欺いている。
 
 
だが、自分自身をどうやって欺けるだろう? 
 
 
仮面は自分のほんとうの顔ではないことをあなたは知っている。 
 
 
だが、両親は子どもの前で偽り続ける。
自分の子どもを欺き続けるのだ。
 
 
彼らは自分の子どもに対してでさえ正直でいられない! 
 
 
彼らは自分たちの人生が失敗だったということを打ち明けないだろう。
反対に
自分たちはとてもうまくやってきたというふりをするだろう。
 
そして彼らは、
子どもたちにも彼らが生きてきたのと同じように生きてもらいたい。
 
あなたはたずねている。
 
「両親は私にとても失望していて……」
 
まったく心配することはない--すべての親が自分の子どもに失望している! 
 
そして私がすべてと言うのは、いかなる例外もなしにだ。
 
 
 
ゴータマ・ブッダの親でさえ彼にとても失望していたし、
イエス・キリストの親も、当然、彼にとても失望していた。
 
彼らはある決った生活をしていた--両親は正統派のユダヤ人だった--
ところが、
その息子、そのイエスが、多くの伝統的な観念や慣例に反対しだした。
 
エスの父ヨセフは、自分も年をとってきたことだし、
息子が大工の仕事を、自分の店を手伝ってくれることを期待していたに違いない--
ところがこのバカ息子は、神の王国について話し始めた! 
老い父親が喜んだと思うかね? 
 
ゴータマ・ブッダ父親はとても年をとっていて、
たった一人の息子がいるだけだった。
しかも、その子が生まれたのも彼が年老いてからだった。
彼は息子が授かるように、全生涯をかけて待ち、祈り、礼拝し、
あらゆる宗教的儀式を行なったのだ。
さもなければ、彼の偉大な王国を誰が見ていくというのかね?
 
ところがある日突然、その息子は王国から姿を消した。
彼が幸福だったと思うかね? 
 
彼はとても怒った、怒り狂っていた。
もし見つけたら、ゴータマ・ブッダを殺したかもしれない!
彼の警備隊、密偵たちが王国中を隅々まで探し回った。
 
「どこに隠れているのだ? 息子をわしの目の前に連れて来い!」 
 
ブッダはそのことを知っていた。
父親の官吏に捕まるであろうことを。
 
そこで彼が最初にしたことは、
父の王国の国境を越え、他の王国に逃げることだった。
 
そして12年の間、彼のうわさを聞くことはなかった。 
 
光明を得た後、彼は自分の喜びを分かち合うために、
 
「私は家に辿り着いた」と、
「私は悟った」と、
「私は真実を知った--これが道なのだ」と、
父親に伝えるために家に戻った。 
 
だが父親はとても怒っていた、怒りで体を震わせていた--
彼は年老いていた、とても年老いていた。
父はブッダに向かって怒鳴った。
 
「おまえはわしに恥をかかせた!」
 
彼はブッダを見た--乞食の格好をして托鉢碗を持つ彼が立っていた--彼は言った。
 
「乞食のような格好で私の前に現れるなんて、どういうつもりだ?
おまえは王の息子だぞ。
我々の家族に乞食などいたためしはないのだ!
わしの父は王だったし、その父もそうだった。
何世代にも渡って我々は王だった!
おまえはこの伝統をけがしたのだ!」 
 
ブッダは半時間のあいだ一言もしゃべらずに聞いていた。
父親のガスが切れて、少し冷めてきたとき…彼は涙をためていた、怒りの、失意の涙。
そこでブッダは言った。
 
「一つ頼みを聞いてください。
どうか涙を拭いて、それから私を見てください--
私は家を去ったその人物と同じ人間ではありません。
私はまったく変容したのです。
でもあなたの目は涙でいっぱいで、見ることができないのです。
そして、
あなたはいまだに、もういない人に語りかけているのです!
彼は死んだのです。」
 
これで新たな怒りが引き出され、父親は言った。
 
「おまえは私に説教するつもりか?
わしを馬鹿にするのか? 
自分の息子がわからないとでも言うのか? 
わしの血がおまえの血管の中を流れているのだぞ--
それなのに、わしが気がつかないとでも?」 
 
ブッダは言った。
 
「どうか誤解しないでください。
この体は確かにあなたからいただいたものです。
でも私の意識はそうではありません。
 
私の意識が私の現実であって、体ではないのです。
 
確かにあなたがおっしゃるとおり、
あなたの父親も、その父親も王でした。
でも私が知りうる限り、
私は過去生で乞食でしたし、その前の生でも乞食でした。
なぜなら私はずっと真実を探し求めていたからです。
 
私の体はあなたを介してやってきました。
でもあなたは言わば通り道だったのです。
あなたが私を創ったのではなく、あなたは媒体だったのです。
 
そして、私の意識はあなたの意識とは無関係です。
 
そして私が言っていることは、
私はいまやまったく新しい意識を持って家に戻ったということです。
私は再生を経てきました。
よく私を見てください。私の喜びを見てください!」 
 
そして、彼の言ったことを信じたわけではないが、父は息子を見た。
 
だが、一つのことは明らかだった。
 
自分がこれほど怒っているのに
息子はまったく挑発されていなかった。
これはまったく新しいことだった。
 
彼は自分の息子を知っていた。
もし彼が以前と同じ人間だったら、父親と同じくらいに怒っただろう。
いやもっとかもしれない。
というのも彼は若かったし、彼の血は父親よりもずっと熱かったからだ。
 
ところが彼はまったく腹を立てていなかった。
彼の顔には完全な安らぎが、大いなる静けさがあった。
彼は平静で、父親の怒りにも乱されることがなかった。
父親は彼を侮辱したが、
彼はまったくどのような影響も受けていないかのようだった。 
 
父親は年老いた目から涙をぬぐい、再び彼を見、新しい優美さを見た…
 
 
 
あなたの両親はあなたに失望するだろう。
なぜなら彼らはあなたを通して自分たちの期待を
満たそうとしてきたに違いないからだ。
 
今やあなたはサニヤシンとなった。
彼らの期待はすべて水泡に帰してしまった。
当然彼らは失望する。
 
だが、そのことに罪悪感を持つ必要はない。
 
さもないと、彼らはあなたの喜びを壊してしまう。
あなたの静けさ、あなたの成長を。
 
あなたは乱されず、心配せずにいなさい。
 
罪悪感を覚える必要はない。
あなたの人生はあなたのものだ。
 
そして、あなたはあなた自身の光に従って生きなければならない。 
 
そしてあなたが喜びの根源に、
あなたの内なる至福に辿り着いたとき、
彼らのところへ行って分かち合うがいい。
 
彼らは腹を立てるだろう--待ちなさい。
 
怒りは永久に続くものではないからだ。
それは雲のようにやって来てはまた過ぎていく。待つのだ! 
 
 
 
 
行って、彼らと共にいなさい。
 
だが、それはあなたが冷静でいられることが確かなときだけだ。
 
何ひとつ自分の中に反動が生じないことを知っている時だけだ。
 
彼らが怒ったとしても、
自分は愛をもって応えられることがわかっている時だけだ。
 
そして、それこそが彼らを助ける道だ。
 
 
 
 
あなたは言っている。
「彼らはいつも心配しています」
 
それは彼らの問題だ! 
 
そして、あなたが彼らの考えに従ったら、
彼らは心配しないだろうなどと考えてはいけない。
彼らはそれでも心配するだろう。
 
 
それは彼らの条件付けだ。
 
 
彼らの両親が心配したのだろう。
そしてまた、その親たちも心配したに違いない。
それが彼らの伝統だ。
 
そしてあなたは彼らを失望させた。
というのも、あなたはもはや心配していないからだ。
あなたは道を外れた! 
 
彼らは惨めで、
彼らの両親も惨めだったし、
それがずっとずっと遡っていく…アダムとイヴまで! 
 
ところが、あなたは道を外れた。
ひどく心配なのはそのためだ。 
 
だが、もしあなたが心配するようになったら、
あなたは機会を失い、
彼らが再びあなたを窮地に引きずり込むだろう。
 
彼らは気分を良くする。
 
彼らはあなたが古い伝統的な、従来の道に戻ってきたことを喜ぶだろう。
 
だが、それでは、あなたばかりではなく彼らの助けにもならない。 
 
 
 
もしあなたが自立したままでいたら、
もしあなたが自由の香りを手に入れたら、
もしあなたがもっと瞑想的になったら--
 
そして、あなたがここにいるのはまさにそのためだ。
より瞑想的になるために、
より平静に、
より愛に、
より至福に満ちているために--
 
そして、ある日あなたは自分の至福を分かち合うことができる。
 
 
 
分かち合うためには、
まずあなたがそれを持っていなければならない。
 
あなたはすでに自分が持っているものしか分かち合えないのだ。 
 
 
 
今のままだと、
あなたもまた心配しかねない。
だが二人で心配しても、心配を倍にするだけだ。
お互いを助けることにはならない。 
 
 
 
それは彼らの条件付けになっているに違いない。
それは世界中のすべての人たちの条件付けだ。
 
 
 
ラビがある家族に招待された。
家の主人はその名誉に感激して、
子どもたちに、
偉大なラビが来るのだから夕食のテーブルで行儀良く振舞うようにと注意した。
ところが食事の途中、
何かのことで彼らが笑ったので、主人は彼らを引き下がらせた。 
 
するとラビは立ち上がり、去る用意をし始めた。 
 
「何かお気に召しませんでしたか?」
 
心配した父親は尋ねた。 
 
「いや」ラビは言った、「私も笑ってしまったのだ!」
 
 
 
あなたは彼らの深刻さを、
あなたのことについての彼らの心配事を気にしなくていい。
 
彼らは無意識的にあなたに罪悪感を与えようとしているのだ。
 
 
彼らの思う壺にならないように。
 
 
彼らが成功したら、彼らはあなたを壊してしまうし、
あなたを通して彼らに生じるかもしれないひとつの機会をも壊してしまうだろう。
 
 
あなたは言っている。
「私がここにいることができるのは彼らのおかげです」
 
それに感謝しなさい。
だが、罪悪感を持つ必要などまったくない。
 
「どうして彼らを見捨てることができるでしょう」
 
彼らを見捨てる必要などない。
 
 
 
だが、だからと言って、彼らに従う必要もないのだ。
 
 
 
彼らを愛し続けなさい。
 
 
 
あなたが瞑想するとき、瞑想するたびに存在に祈るがいい。
 
「私が瞑想的であることの何かが、私の両親にも届きますように」と。 
 
彼らのために祈りを込め、彼らを愛していなさい。
 
 
 
だが彼らに従うことはない。
 
それは、あなたにとっても彼らにとっても助けにならない。
 
 
 
あなたは言っている。
「私は両親にどのような義務があるのでしょう?」
 
あなたはこのことに義務がある。
 
 
 
あなたはあなた自身でいるべきだということ。
 
 
 
あなたはこのことに義務がある。
 
あなたは
至福に満ちていなければならないということ、
エクスタティックでなければならないということ、
あなた自身が祝祭にならなければならないということ、
あなたは笑い、喜ぶことを学ぶべきだということだ。
 
 
 
あなたの彼らへの義務は、光明を得ることだ。 
 
 
 
ゴータマ・ブッダのように光明を得て、
それからあなたの両親のところへ行き、
あなたの喜びを分かち合うことだ。
 
 
 
たった今、あなたに何ができる? 
 
 
 
今は何一つできない。
今はただ、あなたは祈ることができるだけだ。
 
 
 
私は彼らに背くようにと言っているのではない。
 
私は彼らに従うなと言っている。
 
それが彼らを手助けすることのできる唯一の道だ。
 
彼らは身体的な面であなたを助けてくれた。
 
あなたは彼らを精神的に助けなければならない。
 
それが彼らに恩返しする唯一の道だ。
 
 
 
 
question…
 
OSHO,
MY PARENTS ARE SO DISAPPOINTED IN ME, THEY WORRY ALL THE TIME. THEY HAVE MADE MY BEING HERE POSSIBLE, SO HOW CAN I TURN FROM THEM? WHAT DO I OWE TO MY PARENTS?
 
 
osho…
 
Prem Shunya,
THE TROUBLE with the family is that children grow out of childhood, but parents never grow out of their parenthood! 
 
Man has not even yet learned that parenthood is not something that you have to cling to it forever. 
 
When the child is a grown-up person your parenthood is finished. 
 
The child needed it – he was helpless. He needed the mother, the father, their protection; but when the child can stand on his own, the parents have to learn how to withdraw from the life of the child. 
 
And because parents never withdraw from the life of the child they remain a constant anxiety to themselves AND to the children. They destroy, they create guilt; they don’t help beyond a certain limit.
 
To be a parent is a great art. 
 
To give birth to children is nothing – any animal can do it; it is a natural, biological, instinctive process. 
To give birth to a child is nothing great, it is nothing special; it is very ordinary. 
 
But to be a parent is something extraordinary; very few people are really capable of being parents.
 
 
And the criterion is that the real parents will give freedom. 
 
 
They will not impose themselves upon the child, they will not encroach upon his space. 
 
From the very beginning their effort will be to help the child to be himself or to be herself. 
 
They are to support, they are to strengthen, they are to nourish, but not to impose their ideas, not to give the shoulds and should-nots. 
 
They are not to create slaves.
 
 
But that’s what parents all over the world go on doing: their whole effort is to fulfill their ambitions through the child. 
 
 
Of course nobody has been ever able to fulfill his ambitions, so every parent is in a turmoil. He knows the death is coming close by every day, he can feel the death is growing bigger and bigger and life is shrinking, and his ambitions are still unfulfilled, his desires are still not realized. 
 
He knows that he has been a failure. 
He is perfectly aware that he will die with empty hands – just the way he had come, with empty hands, he will go.
 
Now his whole effort is how to implant his ambitions into the child. 
 
He will be gone, but the child will live according to him. What he has not been able to do, the child will be able to do. At least through the child he will fulfill certain dreams.
 
It is not going to happen. 
 
All that is going to happen is the child will remain unfulfilled as the parent and the child will go on doing the same to his children. 
 
This goes on and on from one generation to another generation. 
 
We go on giving our diseases; we go on infecting children with our ideas which have not proved valid in our own lives.
 
 
Somebody has lived as a Christian, and his life can show that no bliss has happened through it. 
 
Somebody had lived like a Hindu and you can see that his life is a hell but he wants his children to be Hindus or Christians or Mohammedans. 
 
How unconscious man is!
 
 
 
I have heard:
A very sad, mournful man visited a doctor in London. Seating himself in a chair in the waiting room and glumly ignoring the other patients he awaited his turn. Finally the doctor motioned him into the inner office where after a careful examination the man appeared even more serious, sad and miserable than ever.
 
”There’s nothing really the matter with you,” 
 
explained the doctor,
 
”you are merely depressed. 
What you need is to forget your work and your worries. Go out and see a Charlie Chaplin movie and have a good laugh!”
 
A sad look spread over the little man’s face. 
 
”But I am Charlie Chaplin!” 
 
he said.
 
 
 
It is a very strange world! 
 
You don’t know people’s real lives; all that you know is their masks. 
 
You see them in the churches, you see them in the clubs, in the hotels, in the dancing halls, and it seems everybody is rejoicing, everybody is living a heavenly life, except you – of course, because you know how miserable you are within. And the same is the case with everybody else! 
 
They are all wearing masks, deceiving everybody, but how can you deceive yourself? 
 
You know that the mask is not your original face.
 
But the parents go on pretending before their children, go on deceiving their own children. 
 
They are not even authentic with their own children! 
 
They will not confess that their life has been a failure; on the contrary, they will pretend that they have been very successful. And they would like the children also to live in the same way as they have lived.
 
 
Prem Shunya, you ask: MY PARENTS ARE SO DISAPPOINTED IN ME...
 
Don’t be worried at all – all parents are disappointed in their children! 
 
And I say all, without any exception. 
 
Even the parents of Gautam the Buddha were very much disappointed in him, the parents of Jesus Christ were very much disappointed in him, obviously. 
 
They had lived a certain kind of life – they were orthodox Jews – and this son, this Jesus, was going against many traditional ideas, conventions. Jesus’ father, Joseph, must have hoped that now he is growing old the son will help him in his carpentry, in his work, in his shop – and the stupid son started talking about kingdom of God! Do you think he was very much happy in his old age?
 
Gautam Buddha’s father was very old and he had only one son, and that too was born to him when he was very old His whole life he has waited and prayed and worshipped and did all kinds of religious rituals so that he can have a son, because who is going to look after his great kingdom? 
 
And then one day the son disappeared from the palace. Do you think he was very happy? 
 
He was so angry, violently angry, he would have killed Gautam Buddha if he had found him! His police, his detectives were searching all over the kingdom. ”Where he is hiding? Bring him to me!”
 
And Buddha knew it, that he will be caught by his father’s agents, so the first thing he did was he left the boundary of his father’s kingdom; escaped into another kingdom, and for twelve years nothing was heard about him.
 
When he became enlightened he came back home to share his joy, to say to the father that, ”I have arrived home,” that ”I have realized,” that ”I have known the truth – and this is the way.”
 
But the father was so angry, he was trembling and shaking – he was old, very old. He shouted at Buddha and he said, 
 
”You are a disgrace to me!” 
 
He saw Buddha – he was standing there in a beggar’s robe with a begging bowl – and he said, 
 
”How you dare to stand before me like a beggar? You are the son of an emperor, and in our family there has never been a beggar! My father was an emperor, his father was too, and for centuries we have been emperors! You have disgraced the whole heritage!”
 
Buddha listened for half an hour, he didn’t say a single word. When the father ran out of gas, cooled down a little... tears were coming out of his eyes, tears of anger, frustration. Then Buddha said, 
 
”I ask for only one favor. Please wipe your tears and look at me – I am not the same person who had left the home, I am totally transformed. But your eyes are so full of tears you cannot see. And you are still talking to somebody who is no more! He has died.”
 
And this triggered another anger, and the father said, 
 
”You are trying to teach me? Do you think I am a fool? Can’t I recognize my own son? My blood is running in your veins – and I cannot recognize you?”
 
Buddha said, 
 
”Please don’t misunderstand me. The body certainly belongs to you, but not my consciousness. 
 
And my consciousness is my reality, not my body. 
 
And you are right that your father was an emperor and his father too, but as far as I know about myself I was a beggar in my past life and I was a beggar in a previous life too, because I have been searching for truth. 
 
My BODY has come through you, but you have been just like a passage. You have not created me, you have been a medium, and my consciousness has nothing to do with your consciousness. 
 
And what I am saying is that now I have come home with a new consciousness, I have gone through a rebirth. Just LOOK at me, look at my joy!”
 
And the father looked at the son, not believing what he is saying. But one thing was certainly there: that he was so angry but the son has not reacted at all. 
 
That was absolutely new – he knew his son. If he was just the old person he would have become as angry as the father or even more, because he was young and his blood was hotter than the father’s. 
 
But he is not angry at all, there is absolute peace on his face, a great silence. He is undisturbed, undistracted by the father’s anger. The father has abused him, but it seems not to have affected him at all.
 
He wiped his tears from the old eyes, looked again, saw the new grace...
 
Shunya, your parents will be disappointed in you because they must have been trying to fulfill some expectations through you. 
 
Now you have become a sannyasin, all their expectations have fallen to the ground. 
 
Naturally they are disappointed. 
 
But don’t become guilty because of it, otherwise they will destroy your joy, your silence, your growth.
 
You remain undisturbed, unworried. 
 
Don’t feel any guilt. 
 
Your life is yours and you have to live according to your own light.
 
And when you have arrived at the source of joy, your inner bliss, go to them to share. 
 
They will be angry – wait, because anger is not anything permanent; it comes like a cloud and passes. Wait! 
 
Go there, be with them, but only when you are certain that you can still remain cool, only when you know that nothing will create any reaction in you, only when you know that you will be able to respond with love even though they are angry. 
 
And that will be the only way to help them.
 
 
 
You say: THEY WORRY ALL THE TIME.
 
That is their business! 
 
And don’t think that if you had followed their ideas they would not have worried. 
They would have still worried; that is their conditioning. 
 
Their parents must have worried and their parents’ parents must have worried; that is their heritage. 
 
And you have disappointed them because you are no more worrying. 
 
You are going astray
 
They are miserable, their parents have been miserable, and so on, so forth... up to Adam and Eve! And you are going astray, hence the great worry.
 
But if you become worried you miss an opportunity, and then they have dragged you again back into the same mire. 
 
They will feel good, they will rejoice that you have come back to the old traditional, conventional way, but that is not going to help you or them.
 
 
If you remain to be independent, 
if you attain to the fragrance of freedom, 
if you become more meditative – 
 
and that’s WHY YOU are here: to become more meditative, to be more silent, more loving, more blissful – then one day you can share your bliss. 
 
To share first you have to have it; you can share only that which you have already got.
 
Right now you can also worry, but two persons worrying simply multiply worries; they don’t help each other.
 
You say: THEY WORRY ALL THE TIME.
It must have become their conditioning. It is the conditioning of everybody in the world.
 
 
 
A rabbi was being hosted by a family, and the man of the house, impressed by the honor, warned his children to behave seriously at the dinner table because the great rabbi is coming. But during the course of the meal they laughed at something and he ordered them from the table.
The rabbi then arose and prepared to leave. 
 
”Anything wrong?” 
 
asked the concerned father. 
 
”Well,” said the rabbi, ”I laughed too!”
 
 
 
You don’t be worried about their seriousness, about their worrying about you. 
 
They are trying unconsciously to make you feel guilty. 
 
Don’t let them succeed, because if they succeed they will destroy you and they will also destroy an opportunity for them which would have become possible THROUGH you.
 
 
 
You say: THEY HAVE MADE MY BEING HERE POSSIBLE. 
 
Be thankful for that, but there is no need to feel guilty.
 
SO HOW CAN I TURN FROM THEM?
 
There is no need to turn from them, 
but there is no need either to follow them. 
 
Go on loving them. 
 
When you meditate, after each meditation pray to the existence that 
 
”Something of my meditativeness should reach to my parents.”
 
Be prayerful for them, be loving to them, 
but don’t follow them. 
That won’t help you or them.
 
 
You say: WHAT DO I OWE TO MY PARENTS?
 
You owe this: that you have to be yourself. 
 
You owe this: that you have to be blissful, that you have to be ecstatic, that you have to become a celebration unto yourself, that you have to learn to laugh and rejoice. 
 
This is what you owe to them: you owe to them enlightenment.
 
Become enlightened like Gautam the Buddha and then go to your parents to share your joy. 
 
Right now what can you do? 
 
Right now nothing is possible. 
Right now you can only pray.
 
 
So I am not saying turn away from them, I am saying don’t follow them, and this is the only way you can be of some help to them. 
 
They have helped you physically, you have to help them spiritually. 
 
That will be the only way to repay them.
 
 
*     *     *
 
 
oshoの講話より
from osho talks
 
I Am That
 
Talks on the Isha Upanishad
 
Talks given from 11/10/80 am to 26/10/80 am English Discourse series
 
CHAPTER6. ABSOLUTE LOVE, ABSOLUTE FREEDOM
 
16 October 1980 am in Buddha Hall
 
 
この講話の英語のpdfはこちらからダウンロードして読めます。
 
 
 
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sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
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no water no moon / 無水無月

no water no moon / 無水無月
 
 
 
『Until You Die / あなたが死ぬまでは』を読み終えた後、
どうしてもこの『no water no moon / 無水無月』を読みたくなりました。
 
この講話のシリーズの最初のお話は、
日本の鎌倉の尼僧の千代能に起こった、
ある満月の夜のアクシデントで
千代能が突然光明を得たものでした。
 
 
千代能はこの詩を詠んだ…
 
あれこれと、どうにか桶をとめてきた。
もろい竹が切れないように。
突然、底がぬけた。
水たまらねば月もやどらず…
わたしの手は空っぽ。
 
(とにかくにたくみし桶の底ぬけて、
水たまらねば、月もやどらず)
 
 
She wrote this verse:
 
This way and that way I tried to keep the pail together, 
hoping the weak bamboo would never break.  
Suddenly the bottom fell out.
No more water; No more moon in the water -
emptiness in my hand.
 
 
oshoはこの千代能の詩から、
千代能が光明を得たことについて、
とても丁寧に詳しくわかりやすくお話しています。
 
 
oshoは光明を得ることは『突然』起こる、
と話しています。
 
それは段階をふんではやっては来ないと。
 
それはまるで、
それにジャンプするか、
ジャンプしないか、
のどちらかのようだと。
 
 
千代能の場合は古い水桶が突然壊れたことで、光明が起こりました。
 
詳しくはoshoの講話を聞くか読んでみてください。
それはそれは…言葉にならないようなすばらしいお話です。
 
 
わたしの場合は、前回も書きましたが、
ある冬の晴れた昼間、
窓辺で日向ぼっこをしてぼーと心地よくくつろいでいる時に
突然「それ」は起こりました。
 
 
日向ぼっこでも「それ」は起こったのだから、
そうであるのは確かなのだが、
日向ぼっこで…σ(^_^;)
 
 
などと思っていると、
oshoのアティーシャの知恵の書の講話の中で、
 
『「それ」は日向ぼっこでも起こる』
 
とoshoは話していましたσ(^_^;)
 
 
日向ぼっこでも起こるのは自身の体験からもoshoの講話からも確かです…。
 
 
『光明の起こり方は、1人1人さまざまであり違う。』
 
 
とoshoは話していますから、
きっとそうなのでしょうね。
 
 
前回も書きましたが、
わたしは、『源泉』とか『光明』とか『全ては一つ』とか…
そんな知識が全くないまま、
 
ただ好きな瞑想をしていただけで、
 
『源泉』の中にひょっこりと入ってしまい、
『全ては一つ』の宇宙の大洪水がやってきたりしまして…
 
自身に起こった体験がなんなのか…全くわかりませんでした。
 
 
その体験後に、
oshoの講話の本が引き寄せられるようにやってきてそれらを読み、
自身に起こった体験とピッタリ同じことが書いてあったので、
お〜(言葉にならない)と思いながら、
次つぎと直感に従って導かれるままに読んでいます。
 
 
 
今日は満月です。
 
そんな今日、満月の夜に突然起こった
あるアクシデントによって
光明 enlightenment の体験をした
千代能のお話のoshoの講話の本をご紹介します。
 
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この講話の英語のpdfはこちらからダウンロードして読めます。
 
no water no moon
 
Talks on Zen,
 
Talks given from 11/08/74 am to 20/08/74 am, English Discourse series,
10 Chapters
 
 
 
 
sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
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Until You Die / あなたが死ぬまでは

Until You Die / あなたが死ぬまでは
 
 
 
限りなく優しく温かく心地よい
温泉のような源泉の中は
とろんと溶けてしまいそうな
あま〜い愛で満たされている。
 
源泉の中にいると、
 
時間の感覚はなくなり、
 
過去も未来もなくなり、
 
あるのは今だけになる。
 
 
 
 
ある日、宇宙の大洪水がやってきた。
 
それは突然やってきた。
 
なんの心の準備もなく、
 
なんの予備知識もなく、
 
宇宙が突然、一気に入ってきた。
 
「私」という風船に空気がいっぱい入り込んだように、
 
「私」という風船がはち切れて壊れてしまうと思ったから、
 
直感で瞬時に「私」をポイっと捨て去った。
 
 
「私」を捨て去ると、はち切れそうな感覚はなくなり楽になった。
 
突然の出来事でびっくりし、
かる〜くパニック状態にはなったが、
安心がやってくると、
そこには至福感しかなかった。
 
 
宇宙の大洪水が来るほんの数秒前と同じ部屋にいるのに、
全てがキラキラして見えて、何かが違っていた。
 
 
なにが起こったのかさっぱりわからなかったが、
絶対的にこれでいいという確信だけはあった。
 
 
まったく抵抗不可能な圧倒的な宇宙の大洪水の力により、
直感で「私」を捨て去ったが、
 
それが「私」との永遠の別れであることも確信した。
 
肉体の中から、
「私」は消え去り、
宇宙の存在の意識だけになった。
 
肉体は生きてはいるが、
「私」は死んでしまった。
 
それからは、
 
肉体は宇宙の存在の意識で動いている。
 
肉体は女なのに、もう、女なのか男なのかわからなくなった。
気分は中性なのだ。
 
不思議なもので中性であることが当たり前で自然で心地よく至福なのだ。
 
 
 
 
「私」は、
宇宙の大洪水により、
宇宙の存在の意識の中に溶け込んでしまったようだ。
 
oshoが話すように、
「私」という一雫が、
存在という海に溶け込んだようだった。
 
溶け込んでしまったから、
もう2度と「私」は見あたらない。
 
 
 
 
心の準備も予備知識もまったくなく、
突然の「私」との永遠の死別で、
少し寂しく思ったが、
 
宇宙全ての存在と一つである意識は
究極の静かで穏やかな至福感でいっぱいだった。
 
 
 
 
一瞬で明け渡してからは、
 
肉体は宇宙の存在の意識で動いている。
 
宇宙の存在の意識は愛だけの至福をも超越したような
言葉にならない感覚だ。
 
 
明け渡しで「私」が死ななければ、
「私」が宇宙の海に溶け込まなければ、
知ることがなかった至福を超えた体感だ。
 
全ては一つという体感による至福感は、
源泉の中にいる体感の至福感を
はるかに超越したものだ。
 
その超越した至福感は宇宙の大洪水の瞬間から
2度と消え去ってはいない。
 
 
この不思議な体験がなんであるのか?
さっぱりわからなかったが、
調べ探していると、
oshoの講話の本に辿り着いた。
 
oshoの講話のたくさんある本の中でも
1番引き寄せられた本がこの本だった。
 
そして自身の体験と同じことが詳しくoshoによって話されていた。
 
はじめて自分がなにを体験したのかを知った。
 
oshoが講話をしてくれて、
oshoのサニヤシン達が講話の記録を残してくださったおかげで、
自身に何が起こったのかを知ることができ、心から感謝をしている。
 
ありがとう。
 
 
 
 
oshoが講話で話すスーフィーの逸話のように、
「私」が死ななければ、
真の至福を知ることはできない、
真の愛を知ることはできない、
真理を知ることはできない、
その贈りものは得られない、
というのは体験からも確かだと思った。
 
 
oshoはこの講話の中でこう話す…
 
 
『それは、あなたが明け渡し(surrender)をして
自分を委ねさえすれば可能になる。
 
実際のところ、
もし明け渡し(surrender)をしたら、
ここで語られているような死がまさに実現する。
 
明け渡し(surrender)とは死のようなもの。
 
だからこそあなたがたは、
それほどまでに明け渡し(surrender)をすることを怖れるのだ。
 
あなたがたは自分を守ろうとする。
 
私から何かをかすめ取って、自分は今のままでいようとする…、
 
が、そんなことはできるものではない。
 
 
あなたは死ななければならない。
 
死んでこそはじめて何かがあなたに与えられる。
 
贈りものはすでに用意されている。
すでに包装されて、
あなたの名前が上に書かれている、
 
が、あなたのほうの用意ができていない。
 
 
あなたが死ぬまでは、
私からは何も得られない…。」
 
 
 
 
oshoを含めた導師たちの全ての努力は、
1人1人の内側を空っぽの状態にさせ、
自分の内側にある源泉を思いださせ、
全ては一つであるという本来の自然な状態、
無、虚空、真空の状態の光明enlightenmentの状態を思いださせることだ。
 
 
 
『この真空の内からすべてが生じてくる。
 
その無の内からすべてが生まれてくる。
 
その虚空から〈絶対〉なるものが生まれてくる。
 
 
しかし、
 
あなたが死ぬまでは、
 
それは可能ではない。』
 
 
 
はじめて読んだoshoの講話の本は、
『Until You Die / あなたが死ぬまでは』。
 
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この講話の英語のpdfはこちらからダウンロードして読めます。
 
Until you die
 
 
 
 
sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
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